とにかく配信をする、という行為に慣れようと思って昨日も取り立てて理由なく配信をしてみた。
やってみて思ったのは
「配信という行為に意味を持たせすぎていた」
これは私が実況者の配信が大好きで意味を持って見ていたので、内容は置いておいて「配信」という行為に色々と付随する(楽しませてもらっている)気持ちが自分にある一定のプレッシャーを与えていたということ。
でも、私が好きな配信者さんたちってまあフラットに配信を初めてぬるっと終わる、みたいな日常になっていて、それが大好きなんですよね。
なので、とにかく日常にするというか考えなしにやってみた。
で、当たり前なんだけど平日のお昼とか人が来るわけじゃない。というか、時間関係なく人が来るわけじゃない。それがちょっと気楽になってきた。今まではやる時には少し気合が入っていたし、誰かは来てくれた(ありがたい)のだけど、時間考えなく自分本位にやると人は来ない。でもそれが気楽だなって思いました。好きな時にやるのがいいし、自分のためだし誰かの時間を奪ったりしてるわけじゃない。
あと、これはマイナスの感覚ではない発言という前置きで話すんだけど
「誰でもない配信見に来る人がいる訳ない」
という、改めて自分が誰でもない感覚になれてそれがよかった。誰でもないのが寂しいとかでなく。取るに足らない自分というのが通常。
先日、大好き実況者の1人、たろちんがツイートしていた
歳取ると自分の成功体験を捨てられなくて時代に置き去りにされる気がするので中年が「強み」だと思ってる経験こそ疑ったほうがいいのかもしれない
— たろちん (@tarochinko) August 4, 2023
これ。
私は成功体験が多い訳じゃないけど、今連載させて頂いていて、もう一つの仕事も長い間お世話になっていて評価もして頂けている環境にいる。
新しいこととかやって見たことない事はやっぱり反応なくて、それが当たり前。でもそれが普通で、恥ずかしいことじゃない。たまにしか配信してない時は普通じゃないから、人が来ないことを恥ずかしいなぁと思ってたんだと思う。
恥と思うとやってられなくなると思うけど、普通なんだと思うとまあいいかと思える。
それってつまり、私は私の価値を少し高く評価していたのだろうなーと思えて、それに気が付けたのがとても良かった。
で、こういう道は誰もが歩いている一歩目なんだと思うと、自分の本来やりたい事と違う事とはいえ(趣味的な遊びではあるので)新しい道があって、行くも行かざるも好きにしていいし、そこ誰かの期待がある訳ではないというのがとても楽。
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